1998-04-16 第142回国会 参議院 文教・科学委員会 第15号
それは労働者的側面があることは間違いがありませんけれども、非常に大切な職業ですよという意味でもし聖職という言葉が使われるのなら、私はそれはまさに聖職という気持ちでやっぱり先生方は現場に立っていただきたい、こう思っております。
それは労働者的側面があることは間違いがありませんけれども、非常に大切な職業ですよという意味でもし聖職という言葉が使われるのなら、私はそれはまさに聖職という気持ちでやっぱり先生方は現場に立っていただきたい、こう思っております。
この算定方式では、いま御指摘のように自作地地代とか自己資本利子といったものにつきまして、やはり一定の評価をしました上で算定をいたすわけでございますが、これは農業経営を継続させます場合に、米の再生産を確保するときに経営外部に支払ったものだけで再生産が確保できるかどうか、御承知のように日本の農業というのは自作農でやっておりまして、ある意味では地主的側面とそれから労働者的側面を兼ね備えたものでございますので
教育者は労働者的側面もございますし、また当然教育者というのは他の労働者と違いますから、教員としてこれは聖職的と申してもよろしく、また専門家的とも申してよろしいのですが、そういう側面を持っている。
これについてひとつはっきり、自分はこう思うのだ、言いかえれば、教員組合で言う労働者という言葉を便っておりますが、これは労働者的側面があると言えば、それは私も同感でございますが、そうじやなくて、もっと真正面からこの言葉を、今後誤解を生まないように、ひとつ大臣のお考えを聞いておきたいと思います。
やはりこれも、憲法の二十八条に勤労者ということを言っておりますが、そういう意味合いで待遇の改善を望んだり、あるいは自分が受け取っている給与というものが適当であるかどうか、そういう問題については、たとえば労使の交渉というような言葉もございますように、やはり憲法のワク内において労働者的側面を持っていると思います。